手術後せん妄・・・

 12月23日から24日にかけて、クリスマスイブをまたいで開腹手術が行われたわけであるが、その後12月28日まで記憶が無い。12月28日の朝、妻が自分の名前を呼んでいることに気づいて我に返った。「良かった・・・元に戻った!」と妻が言った。


 28日までの間に、どうやらもう1回お腹を開けたみたい。手術後に出血があったらしく、輸血まで行われて止血術が行われたという。


 うちの母が「うぇ〜。他人の血が入っちゃったの!?」と。そんなことどうでもよかった。そんなこと言ってられない。死んじゃうかも知れないのに。普段、消えたい、逃げたい言っている自分も本当に死にそうになると生きたくなるんだな。本当に自分勝手な奴。


 2回全身麻酔を行ったからか、普段服用している向精神薬が急にstopされたからか分からないけれど、僕は手術後にせん妄という状態になり、病院の看護婦さん他に多大な迷惑をかけていた。


 そのときの記憶と言うか、自分の頭の中で展開されていた支離滅裂な内容は記憶に残っている。本当に支離滅裂で、その姿を看護婦さん他、妻子、両親に見せていたかと思うと恥ずかしい。うなされている中で妻に「この姿を子供には見せないでくれ!」の懇願までしていたらしいが覚えていない。


 ICUの看護師さんは僕の既往を知っているからか、最初、手術の影響で統合失調症を発症したのではないかと家族に説明したらしい。この病院にはリエゾンの精神科医がいないとのこと。妻は慌てて、僕の主治医(精神科)に電話して状況を説明したと。


 僕の主治医は精神科医であるが、麻酔科医でもあり、かつて手術のときの麻酔管理をやっていた。主治医は妻から僕の容態を聞いて「あ〜それはせん妄という状態よ。私だったら眠らしちゃうけど、また元の状態に戻るから大丈夫よ。もし何かあったら、携帯にいつでも電話して。」と言っていたと。そのとき、僕も主治医と電話で話していたと言うが全く覚えていない。


 その後、うちの両親に主治医から電話があり、「ututotukiau君の容態はどう?」って聞いてきたらしい。こんな主治医、滅多にいない。有り難い。


 以下のようなせん妄エピソード・・・


・天井には虫がはいつくばっていて、蛍光灯に両端に監視カメラがついており、ずっと自分は監視されている。24時間監視されているんだ。


・とある看護師Yが部屋に入ってきて、顔を拭くお絞りをもってきた。「ututotukiauさん、冷たいお絞りと温かいお絞りどちらがいいですか?」と聞いてきたので、「温かいお絞り」と答えると、僕の顔をにらみ覗き込んで「正解。この知恵遅れが!」と暴言を浴びせられる。
・その後、別の看護師が入ってきて「大丈夫.必ず治りますよ」と言って私の手を握ってくれる。自分はウルウルしている。(あほだぁ〜・・・)さっきの看護師Yがそれを快く思わなかったのか、当直の医師と共にその献身的な看護師をいじめ続ける。


・ICU全体が混乱している。当直医師は暴れまくって、薬剤の瓶やらカートやら機材やらを投げつけて、患者さんがみんな避難している。


・僕がいる部屋のとなりの部屋からいきなり「ガタン!」と2回大きな音がする。看護師達が慌ててその部屋に入ってゆく。当直医師も入っていって、「ボスミン!」と大声で叫ぶ。その後、「◯時◯分、ご臨終です。」と死亡宣告が行われる。死因は外傷性ショックだという。その後、「アベマリア」「葬送行進曲」が館内に流れる。


・僕の手術が終わり、ベッド毎、手術室から ICUに運ばれるベッドにて、看護師の誰かが、「おい、こいつ、タキってるぞ。(tachycardia タキカーディア、頻脈の業界用語)」と言っている。付き添いの医師が笑いながら、「そういうの(業界用語)はオペ中はNGね。」と言ってせせら笑っている。


・僕がICUで寝ていると、後ろのモニターからいきなり緊急地震速報が流れ、速報テロップで「富士山が噴火」と流れる。ICUにも噴石が当たり、何故が窓が割れない。(笑)窓の外では、赤色灯が点滅して、警察が窓を割って僕たちを救出することを試みるが、何故か窓が割れない。(笑)
 後から考えると、これみんな、後ろのモニター(脈拍や血圧などモニタリングする機材)などから発する青や赤の光や警告音に反応していたんだと思う。そんな中、僕の主治医(精神科)がその病院の正面玄関から「お通し!」と叫んで、入ってきた。その後は知らない。(笑)


・僕の手首の点滴ラインから、悪意を持った看護師Y一味が、毒薬を注入しようとしたので、僕は殺されると思い、必死になって点滴の針を引き抜いた。(これは本当。)僕の腕を抑え付けている男性看護士Tを僕はにらみ続けた。YとTは悪意を持った看護師だと、その時に確信する。(実際にYとTという名前の看護師は実在した。名前を覚えているということだ。)


・富士山が噴火した後、また速報テロップが流れ、「K大学医学部開設の見返りに、A病院(自分が入院している病院)に8000万円の贈賄容疑。」と。何故かその後、A病院で記者会見が行われる。カメラのフラッシュがすごい。この件で、安倍首相、麻生大臣、石波大臣がそれぞれコメント。(笑)「こんな医療が行われていてはマズいです。」と。(笑)その後、天皇陛下がお言葉を述べられる。「皆で穏やかに暮らしましょう。」と。


・僕はイスラム国の人質になっていて、政府専用機が救出に来る。機内の手術室!で手術を受け、成田空港からベッドでどこかに運ばれる。後は知らない。(笑)


・僕はその後、容態が悪化し、死亡。何故か、僧侶と牧師さんがそれぞれ読経と祈りを捧げている。執刀医も喪服を着ており、A病院で告別式が行われる。喪主が父で気丈に挨拶をしている。僕は斎場に車で運ばれて、焼かれるが、全く熱くない。何故か、焼かれた後、焼き場からベッドで戻ってくる。(笑)
 こういうの臨死体験とか言われちゃうのかな・・・
 ざっと覚えているだけでこんなせん妄だった。まだ、他にも断片的なエピソードはあるが、あんまり覚えていないし、思い出すのも辛い作業だからこれくらいにしておく。


 我に返った12月28日の朝、オイオイ泣いてしまって、「ご迷惑をおかけしました。」と看護師さん達に謝ったりした。あぁ、情けない。


 終末期、死に瀕している人の殆どはせん妄を起こすそうだ。せん妄の原因は環境的心理的要因が大きいが、脳の脆弱性から起こるのではないかといわれており、凹む。精神疾患をもった人がせん妄を起こす割合が高いんじゃないかって思ったり。


 せん妄体験を思い出しては、自責に浸ったり、自己を痛めつけたりしている。そんなこんなの入院生活だったが、12月31日には退院し、家族を驚愕させた。こんな早く退院していいの!?みたいな。

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