自己肯定感に乏しい私

 最近、というか、2015年6月から抑うつ気分の方は無く、気分の変動も無く安定している。リチウムを400mg→200mgまで減らしてから安定している。なんでだろう?分からない。


 気分の方は悪くないのだが、夜寝るときとか、ふと1人でいる時に自分を痛めつけることが多い。自己評価の低さが目につく。ダメだなあといって自分を痛めつけるのである。


 特に、非正規で最低賃金で働いている現状や手術時のせん妄体験(脳の脆弱性からせん妄を起こしたんじゃないか?精神疾患で向精神薬を飲んでいるからせん妄を起こしたのではないか?または、せん妄の内容を思い出しては、看護婦さん他に迷惑をかけたなあ。→自分は厄介な存在だ。とか。)など自分自身の評価にはあまり関係ないと思うが、自分の置かれている境遇とか立場とか経験とかそういう自分の外部にくっついているものをひっくるめて今の自分は、ダメだと言うか、受け入れられない。


 とにかく「こんな状況にある私」はダメなのである。そういう境遇から脱する、具体的にリアルにいえばもっと稼ぎが良くなれば自分の評価は上がるのかな。


 ということは、自分が考える父親としての役割は家族を経済的に養うことであって、その役割を果たせないでいる自分というものを認められなくて責めているのかも知れない。


 それは本当の自分自身の評価ではないことは頭で分かっているが、自分の外部にまとわりついている事柄で自分の評価を下げて自分を否定することが多いのである。「負け組」「下流◯◯」「非正規、派遣」「ワーキングプア」なんて言葉もあって、そこから這い上がれずにいる。


 しかし、自分を吐き出した分かりにくい文章ですね・・・


 そんな自分に対して、主治医先生は、今のututotukiau君は道半ばの段階。そこから、目標を持って(別に高い目標を掲げるというのではなく、今出来ることを目標にすれば良い。)そこに向けて頑張ればいい話じゃないの。今の自分がダメだというのではなく、今出来ることを精一杯頑張ればまた高みが見えてくるから。と仰る。


 ututotukiau君は、病気についてももっと良くなりたい、もっと良くなりたい、とより今の状態よりいい状態(病気に関して)を目指したいという欲求が出て来るんだけど、今のututotukiau君が本当のututotukiau君に近い状態じゃないのかな?今のututotukiau君でいいのよ。今のututotukiau君で勝負したらどう?とお話されたこともある。(注:主治医先生のお話は少しモディファイしている。)


 確かに、別の精神科医に「人に対する恐怖を軽減するという意味でもう少し薬物療法で何とかなりませんか?」と質問したとき、「(リーマス、ルボックス、アナフラニールが軸の主治医先生の処方内容に対して)人に対する恐怖を軽減するという意味ではもう少し工夫の余地があるかも知れないね。」と別の先生が答えられたのを聞いて、「それはどういう処方なんですか!?先生のところで診てもらいたいです。」と言いそうになったこともあった。薬で対人恐怖、対人緊張が軽減するなら僕にとっては福音である。


 でも、考えてみるといくら対人恐怖が軽減しても、明日から社交的な人間に生まれ変われるわけではないし、僕の根本の性格である、自己肯定感が乏しい、或いは自分自身の評価が低い、掲げるハードルが高く、完璧でないと許せないなどのうつ親和型の性格まで薬で変えられまい。


 僕は、こういう性格は自分の両親のしつけに起因するところが大きいと思っていて、それに関して、今更、親にどうこう言ってもそれは無意味であると思う。それよりは自分の両親を反面教師にして自分の娘のしつけにいかしていくことが僕の役目であると思ったりしている。

手術後せん妄・・・

 12月23日から24日にかけて、クリスマスイブをまたいで開腹手術が行われたわけであるが、その後12月28日まで記憶が無い。12月28日の朝、妻が自分の名前を呼んでいることに気づいて我に返った。「良かった・・・元に戻った!」と妻が言った。


 28日までの間に、どうやらもう1回お腹を開けたみたい。手術後に出血があったらしく、輸血まで行われて止血術が行われたという。


 うちの母が「うぇ〜。他人の血が入っちゃったの!?」と。そんなことどうでもよかった。そんなこと言ってられない。死んじゃうかも知れないのに。普段、消えたい、逃げたい言っている自分も本当に死にそうになると生きたくなるんだな。本当に自分勝手な奴。


 2回全身麻酔を行ったからか、普段服用している向精神薬が急にstopされたからか分からないけれど、僕は手術後にせん妄という状態になり、病院の看護婦さん他に多大な迷惑をかけていた。


 そのときの記憶と言うか、自分の頭の中で展開されていた支離滅裂な内容は記憶に残っている。本当に支離滅裂で、その姿を看護婦さん他、妻子、両親に見せていたかと思うと恥ずかしい。うなされている中で妻に「この姿を子供には見せないでくれ!」の懇願までしていたらしいが覚えていない。


 ICUの看護師さんは僕の既往を知っているからか、最初、手術の影響で統合失調症を発症したのではないかと家族に説明したらしい。この病院にはリエゾンの精神科医がいないとのこと。妻は慌てて、僕の主治医(精神科)に電話して状況を説明したと。


 僕の主治医は精神科医であるが、麻酔科医でもあり、かつて手術のときの麻酔管理をやっていた。主治医は妻から僕の容態を聞いて「あ〜それはせん妄という状態よ。私だったら眠らしちゃうけど、また元の状態に戻るから大丈夫よ。もし何かあったら、携帯にいつでも電話して。」と言っていたと。そのとき、僕も主治医と電話で話していたと言うが全く覚えていない。


 その後、うちの両親に主治医から電話があり、「ututotukiau君の容態はどう?」って聞いてきたらしい。こんな主治医、滅多にいない。有り難い。


 以下のようなせん妄エピソード・・・


・天井には虫がはいつくばっていて、蛍光灯に両端に監視カメラがついており、ずっと自分は監視されている。24時間監視されているんだ。


・とある看護師Yが部屋に入ってきて、顔を拭くお絞りをもってきた。「ututotukiauさん、冷たいお絞りと温かいお絞りどちらがいいですか?」と聞いてきたので、「温かいお絞り」と答えると、僕の顔をにらみ覗き込んで「正解。この知恵遅れが!」と暴言を浴びせられる。
・その後、別の看護師が入ってきて「大丈夫.必ず治りますよ」と言って私の手を握ってくれる。自分はウルウルしている。(あほだぁ〜・・・)さっきの看護師Yがそれを快く思わなかったのか、当直の医師と共にその献身的な看護師をいじめ続ける。


・ICU全体が混乱している。当直医師は暴れまくって、薬剤の瓶やらカートやら機材やらを投げつけて、患者さんがみんな避難している。


・僕がいる部屋のとなりの部屋からいきなり「ガタン!」と2回大きな音がする。看護師達が慌ててその部屋に入ってゆく。当直医師も入っていって、「ボスミン!」と大声で叫ぶ。その後、「◯時◯分、ご臨終です。」と死亡宣告が行われる。死因は外傷性ショックだという。その後、「アベマリア」「葬送行進曲」が館内に流れる。


・僕の手術が終わり、ベッド毎、手術室から ICUに運ばれるベッドにて、看護師の誰かが、「おい、こいつ、タキってるぞ。(tachycardia タキカーディア、頻脈の業界用語)」と言っている。付き添いの医師が笑いながら、「そういうの(業界用語)はオペ中はNGね。」と言ってせせら笑っている。


・僕がICUで寝ていると、後ろのモニターからいきなり緊急地震速報が流れ、速報テロップで「富士山が噴火」と流れる。ICUにも噴石が当たり、何故が窓が割れない。(笑)窓の外では、赤色灯が点滅して、警察が窓を割って僕たちを救出することを試みるが、何故か窓が割れない。(笑)
 後から考えると、これみんな、後ろのモニター(脈拍や血圧などモニタリングする機材)などから発する青や赤の光や警告音に反応していたんだと思う。そんな中、僕の主治医(精神科)がその病院の正面玄関から「お通し!」と叫んで、入ってきた。その後は知らない。(笑)


・僕の手首の点滴ラインから、悪意を持った看護師Y一味が、毒薬を注入しようとしたので、僕は殺されると思い、必死になって点滴の針を引き抜いた。(これは本当。)僕の腕を抑え付けている男性看護士Tを僕はにらみ続けた。YとTは悪意を持った看護師だと、その時に確信する。(実際にYとTという名前の看護師は実在した。名前を覚えているということだ。)


・富士山が噴火した後、また速報テロップが流れ、「K大学医学部開設の見返りに、A病院(自分が入院している病院)に8000万円の贈賄容疑。」と。何故かその後、A病院で記者会見が行われる。カメラのフラッシュがすごい。この件で、安倍首相、麻生大臣、石波大臣がそれぞれコメント。(笑)「こんな医療が行われていてはマズいです。」と。(笑)その後、天皇陛下がお言葉を述べられる。「皆で穏やかに暮らしましょう。」と。


・僕はイスラム国の人質になっていて、政府専用機が救出に来る。機内の手術室!で手術を受け、成田空港からベッドでどこかに運ばれる。後は知らない。(笑)


・僕はその後、容態が悪化し、死亡。何故か、僧侶と牧師さんがそれぞれ読経と祈りを捧げている。執刀医も喪服を着ており、A病院で告別式が行われる。喪主が父で気丈に挨拶をしている。僕は斎場に車で運ばれて、焼かれるが、全く熱くない。何故か、焼かれた後、焼き場からベッドで戻ってくる。(笑)
 こういうの臨死体験とか言われちゃうのかな・・・
 ざっと覚えているだけでこんなせん妄だった。まだ、他にも断片的なエピソードはあるが、あんまり覚えていないし、思い出すのも辛い作業だからこれくらいにしておく。


 我に返った12月28日の朝、オイオイ泣いてしまって、「ご迷惑をおかけしました。」と看護師さん達に謝ったりした。あぁ、情けない。


 終末期、死に瀕している人の殆どはせん妄を起こすそうだ。せん妄の原因は環境的心理的要因が大きいが、脳の脆弱性から起こるのではないかといわれており、凹む。精神疾患をもった人がせん妄を起こす割合が高いんじゃないかって思ったり。


 せん妄体験を思い出しては、自責に浸ったり、自己を痛めつけたりしている。そんなこんなの入院生活だったが、12月31日には退院し、家族を驚愕させた。こんな早く退院していいの!?みたいな。

クリスマスイブに手術なんて・・・

 昨年、お盆の時期に宿泊先のホテルで、夜中に急にみぞおちと背中が痛くなりだした。フロントで市販の鎮痛薬をもらって飲むも、一向に痛みが治まらず、朝になるとやっとその痛みは消失した。


 心配になって近所の医者にかかると、超音波検査で「小さな胆石がいっぱいあるね。あんまり痛むようだったら手術した方がいいよ」と。その後、今日に至るまで、油物を食べた夜中は胆石の発作が必発した。
 その度に救急救命センターに駆け込んだのであるが、超音波検査では「胆石らしいものはないですよ。」と。血液検査で炎症反応も無いしということで帰されていたのである。おかしいとは思っていたが、ロキソニンを飲んでやり過ごしいていた。


 しかし、12月22日の夜。中華料理を食べた夜。例の激痛が襲ってきた。ロキソニンを飲んでも治まらない。仕方なく、朝の7時に救急救命センターに駆け込んだ。


 今日は痛みがいっこうに治まらない。しかし、超音波検査では胆石ではなく、泥がたまっているように見えるという。その後造影CTを撮っても胆石が描出されない。しかし、血液検査の炎症反応は上がっていた。


 救急医から外科医に紹介され、3つの選択肢が告げられた。①このまま緊急手術 ②入院して抗生剤点滴など内科的な治療をして状態が良くなってから待機的手術 ③家へ帰って、抗生剤を内服して、状態が良くなってから待機的手術。どれを選んでも最終的には手術ということだった。


 外科医が「お薦めは②です(笑)」と仰ったので、素直にそれに従うことにして、そのまま入院となった。(12月23日)その後、MRI検査にてやっと胆石が描出されていた。


 入院して、抗生剤等持続して点滴していたが、12月23日、21:00過ぎに体温が39℃を越え、急遽、血液検査。内科的に治療してもなかなか改善しないため、「切っちゃいましょう。」ということで、23:00近くから緊急手術となる。(胆のう摘出術) クリスマスイブを越えての手術となったのである。


 時系列は定かではないが、少なくとも2回手術が行なわれた。結局、出血を伴ったため、腹腔鏡ではなく、開腹手術に移行した。2回目は出血箇所の確認だけ。あとから外科医から聞いたのだが、「胆のうの中に細かな胆石がすし詰め」。胆のうは炎症で肥厚しており、肝臓とくっついていてなかなかはがすことが難しかった。炎症が起きているので血管が集中し出血も起きて、輸血も行われたと。
 
 ここから12月28日まで記憶が無い。手術後、ICUで手術後せん妄を起こしたのであった。


 つづく。


 手術後せん妄とは?→http://www.tyojyu.or.jp/hp/page000000800/hpg000000773.htm